自己紹介 (造形絵画教室25年間の経験を元に子育てメソッドが誕生するまで)4-3 アイ アプリシエイト!



お宝才能発掘アドバイザーの小鳥遊樹です。

自己紹介の続きを書かせて頂きます。
今日は4-3
強烈な個性を持った私がもらったバッドプレゼントです。
1.はじめに
2.自己紹介のダイジェスト
3.私の夢と目標
4.私の生い立ち
5.私がメソッド を誕生させるまで
6.いま私にできること



4-3 強烈な個性を持った私がもらったバッドプレゼント

小さな頃から私の個性は強烈でした。
戸の開け閉めや本のページのめくり方が乱暴でよく叱られました。
今でもそうで大きな音を立ててしまったあとで自分で首をかしげます。
どうしてこんなに雑なんだろう…

目を覆う様な運動音痴で、太った天然パーマで、
鉄棒もマットも徒競走も何もできず、劣等感の塊でした。

口を開けたままテレビや漫画に異常なまでに感情移入し、
親の言うことは聞いていません。
作り話も得意で嘘もよくつきましたし、
自分の話だけするマシンガントークでした。

臆病で怖がりな上に、
どんな話にも首を突っ込んで持論を展開する厄介な子で、
天邪鬼だったので嬉しくても喜ばないし、
可愛げもなかったと思います。

お年玉にもこだわり
もらうとすぐに金額を知りたがって中をのぞいて注意されたり、
近所にケーキ屋さんができて初日に買いに行って
「お母さんの分も景品を頂戴」と言ってもらって帰って
叱られて返しに行ったことがあります。

いつでもコタツに潜っていて夜更かしの朝寝坊でした。
掃除や片付けや着替えも嫌いで注意されていました。
カラスの死体をぶら下げて帰ったり変なもの同士を混ぜて喜ぶ子どもで、
引きこもりでもありました。

両親はこんな私をなんとかしようと必死でした。
よくいろんなことで注意をされたり
叱られ、ダメ出しをされていました。

母は特に美術の教育には熱心で
秋に菊の香りが高くなると
庭にゴザを出して絵の具を用意してくれましたし、
百合やライラックを描く様に
花瓶に入れて部屋に準備をしてくれました。

美大を卒業するまで費用の嵩むキャンバス代や
絵の具代に文句を言われたことは一度もありません。
片付けのできない私は大学の寮に入ってから驚いたものです。
「どうしてこの筆は綺麗にならないんだろう?」
いつの間にか部屋や筆が綺麗になっていたのは、
母が片付けてくれていたのだと気がついたからです。

美大生の頃は勿論、社会人になってからも、
「とにかく描いて送りなさい。展覧会に応募しておいてあげるから。」と、
ずっと私の作品を出品し続けてくれていました。

自分が3歳の時に親を亡くし、
私への愛情の強かった母は、
性格にも多々問題があり学校の成績も良くなく、
あげく不登校になり、漫画ばかり読んで
深夜ラジオを毎日聞いては朝起きなくなった娘に困惑したと思います。

園児の時に絵画コンクールで賞をもらい、
小学校でも低学年の頃には褒められ、
高学年や中学・高校時代は漫画ばかり描いていたので、
祖父は芸術家で母もその才能があったことから、
この子の才能は絵で伸ばそうと思い込んでしまったらしいのです。

愛情ゆえに何とか安定して食っていける道の提案を一生懸命してしまい、
目に見えないものや形になっていないもの、
未知の世界に育つ芽の存在にまでは考えが至りません。
それはもちろん私も娘に対してそうでした。

話は逸れましたが、
その様に私は専業主婦であった母親と、
当時は子どもや生徒といった弱いものに対して絶対的な権力を持った、
教員である父親の強い支配のもとで大きくなりました。

両親は、いつでもどこでもなんとなくはみ出してしまう私の性格を操縦することで、
社会的に正しい、きちんとした立派な人間にしようとしたのです。

恋愛は禁止で大学を卒業したら家に戻ってきて
私が決めた人と見合い結婚をして、
家の近くに住んで私の老後を見て頂戴と言われて育ったので
人間の人生ってそう言うものなのだろうと、
半世紀も信じて生きてきたのです。




高学年になって私が不登校になり、
親の思うような進学校には入れず、
ちょうどその頃、兄も重い病気をし、
経済的にも予定外の出費が重なって、
いろいろと人生がうまく行かなくなってから、
母は愚痴や悪口が多くなりました。

母は勘の鋭い人で、
それが良さでもあったのですが、
年とともに思い込みが激しくなり、
ネガティブな発言が多くなりました。

叱るときには激しい怒り方をする人でした。
今なら分かるのです。
彼女もそうされて育ってきたんだなと。

父にも子どもに対する夢があったようで、
不登校の私を進学校の前に連れて行ったり、
女東大と言われている大学を受けろなどと
現実とは掛け離れたことを口にしていました。

親には親の子どもに託したい夢や希望があって、
戦後間もない時代に育った両親が
経済的にも環境的にも諦めてきた自分たちの夢を子どもに託して、
思うようにはならず残念な思いをしたのだと思います。

子どものことを最初から否定する親はいない。
たくさんの夢を持って愛して幸せにしてあげようと思う。
同じように子どもも親に愛されたくて、
なんとか褒められたいし認められたい。
であるにも関わらず、なぜか関係がうまく行かない。
それは多くの人が抱える悩みではないでしょうか?

そんな風に育てられた私が
今度は毒を撒き散らす社会人や親になってしまったことを次回は書きたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

I appreciate !

小鳥遊樹でした。