自己紹介 (造形絵画教室25年間の経験を元に子育てメソッドが誕生するまで)4-4


アイ アプリシエイト!

お宝才能発掘アドバイザーの小鳥遊樹です。
自己紹介の続きを書かせて頂きます。

今日は4-4 毒を撒き散らす社会人や親になってしまった私です。
1.はじめに
2.自己紹介のダイジェスト
3.私の夢と目標
4.私の生い立ち
5.私がメソッド を誕生させるまで
6.いま私にできること
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4-4 毒を撒き散らす社会人や親になってしまった私

【学生時代を経て社会人になり家庭を持った私】

中学に入って私の不登校にはいよいよ拍車がかかり
オールナイトニッポンというラジオ番組を
毎晩聞いては眠りにつく日々が続きました。
当然勉強はどんどん分からなくなります。

どうにか引っかかって入学できた高校時代は
夢中になって絵を描きました。
卒業式の日に用務員さんが
「あんたは誰よりも早くきて一番遅くまで絵を描いていたな」と言って
見送ってくれたほど。

小学校・中学校と不登校をしていた私は
美大に入る、フランスに行くという夢を掲げることで
どうにか自分のプライドを保っていたのではないかと思います。
因みにフランス行きは、まだ果たされていません。

生き方や考え方を教えてくれる素敵な現代画家のアトリエにも
母の紹介で通うことが出来ました。
思えば最初のメンターはその方でした。

300番代で入った高校は、
卒業する頃には10番代の成績になっていました。
英語の担任だった先生も
頑張る私をとても応援してくれた恩人です。

けれど中学時代に勉強の仕方を覚えなかった自分には
到底希望の大学に入る学力があるはずもなく、
また学力があったとしても
メタメタなデッサンでは、やはり合格は難しかったと思います。

すべり止めの短大に入学して美大のキャンパスを歩いた時に
好きな格好で好きなところで好きなことをして
好きな時間に起きて適当にいなくなる自由な人たちを見て、
ああやっと自分の泳ぐ水に辿り着けたと思ったものです。

短大時代は美術館や画廊巡りをして制作にも励み、
真面目さが買われて寮長もやって、
編入してからは教員と学芸員の免許も取り
バイトもして武道館のコンサートやディスコに通う日々。

時はバブル真っ只中。
景気の良い華やかな時代でしたが、
公務員の両親に真面目に生きるのだけを教えられ
精一杯の仕送りをしてもらって甘えていた身で、
どうやったらお金が増やせるのか稼げるのかなどという知識はありません。

母親は私が色気を感じるような女性らしくすることに
とても嫌悪感があって
前髪を下ろそうとする度に大笑いをされました。
一人暮らしを始めたアパートにも「男性とのお付き合いは許しませんから
そのつもりで帰っていらっしゃい」と手紙をよこす母でした。

洗脳とは恐ろしいもので、
私はその頃デートやコンパに夢中になる友達を
愚かだと思っていたのです。
何しろ小さい時から男性とお付き合いをすると
大変なことになると恐怖を植え付けられてきたので。
…ただ、腹立たしいことに両親は恋愛結婚なのです。
笑い話みたいでしょう?

私におしゃれを教えてくれる人はいず、
真面目で一生懸命であることだけが望まれました。
そしてきちんとした聞こえの良い
職業について幸せな仕事と家庭を得て欲しかったのです。
親の立場からすれば、それが正義でした。

その反動もあって、
やりたいことが無いのなら美容業界に入って勉強をしてみようと思いました。
今から30年以上前のエステティック業界は権威向上のために
新卒で入ると半年間100万円かかる技術の習得代が無料でした。

学び自体は楽しかったのですが、
ワンフロアの家賃が400万円もするような、
青山や銀座の一等地にあるサロンでは、
化粧品のノルマがキツく結局長続きはしませんでした。

バブルで同じ年齢の子たちが株で儲け
お客様として来店し華やかな暮らしをするのを見るにつけ、
安いお給料や終電までかかってサウナの床を磨いたり
事務処理をして帰る長時間で体力的にキツイ仕事についていけず
店長にも食ってかかっていました。
「おかしいじゃないですか?話と違う。何とかしてくれ。」と。
スタッフルームで会社や仕事の悪口を言う毎日になっていました。

そろそろお見合いをした方がいい年齢だから帰っていらっしゃいと
母に召還された私は、
自分で選んだ仕事にも満足感を持てず挫折感ばかりがあって、
自由もここまでなのだと郷里に戻り、
声をかけて頂いた友達の実家の化粧品屋さんにお勤めをしたのです。

お見合いを何度かするうちにご縁を頂いて結婚することになりました。
結婚の準備で退職する頃に声をかけて頂いて
中学校の美術の講師になったのです。

こうして私は、ああゴール(スタートだってばっ!)にたどり着けて良かったと、
遠距離だったこともあり3回のデートをしただけで結婚を決め
その後の式の打ち合わせで数回あっただけで結婚式を迎えました。

何でも自分の内側に向かって納めようとする主人は、
真面目な勉強好きの寡黙な人でしたから、
何かと言えば大声で泣きわめいたり
すぐに不機嫌になって怒鳴り散らす3歳児のような
雷小僧の嫁にカルチャーショックを受けたと思います。


次回は続きを書きたいと思います。

最後までご覧頂きありがとうございました!

I appreciate !

小鳥遊樹でした。