自己紹介 (造形絵画教室25年間の経験を元に子育てメソッドが誕生するまで)4-2


アイ アプリシエイト!
お宝才能発掘アドバイザーの小鳥遊樹です。

自己紹介の続きを書かせて頂きます。
今日は4−2
強烈な個性を持った私はどの様に育てられたか?です。

1.はじめに
2.自己紹介のダイジェスト
3.私の夢と目標
4.私の生い立ち
5.私がメソッド を誕生させるまで
6.いま私にできること
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4−2強烈な個性を持った私はどの様に育てられたか?

4ー1でも書かせて頂きましたが、
小さな頃から生意気でだらしなく自己中だった私は、
叱責や注意を両親や教師からよく受けました。

けれど、自分がなぜ怒られるのかさっぱり分からなくて、
怒られるたびに自尊心が傷つき
反抗して泣いて怒ってどんどん気が強くなっていったのです。
今思えば自己防衛だったんでしょうね。

そのうちに腹痛や頭痛や喘息の症状が出たりして、
度々学校を休むようになりました。
不登校という言葉が無かった時代のことです。

性格が強烈すぎて学校に居場所がなかったのでしょうね。
自分では悪いことをしたとは思っていないのに怒られる。
父親に戸締まりを確認されて「した。」と言っても
「本当にやったのか?」と何度も問いただされる。
自分の言動を否定的に捉えられているうちに、
自身の言動に自信がなくなって、
鍵をかけたのに何度確認しても落ち着かないような
不安症を今でも抱えています。

【両親からもらったグッドプレゼント】

では両親が私を嫌いだったかと言えばそんな事はなく、
教育熱心で様々な経験値を授けてくれた親でした。
私の記憶は大きな川の大きな橋で兄や父とかけっこ、
河原で石積みや石投げをしている所から始まっています。

体力や運動神経をつけようと思ったんでしょうね。
仕事から帰って来ると外でよく遊んでくれましたし、
火の扱い方や庭に穴を掘って池を作って
金魚やホテイアオイを育て植物の事を教え、
夜には近所の田んぼにホタル狩りに連れていってくれて昆虫のことを教え、
家ではニワトリの卵からヒナをかえしたり、
たくさんのカブトムシの幼虫を持ってきてくれたりしました。
(ちなみに理科の先生です。)


墓の草刈り、ご先祖様のこと、どぶさらいなど、
様々な生活の事を教えてくれました。
運転や自然が好きで休日には桜やツツジ
あやめ園などのお花見やドライブにも連れて行ってくれ、
季節や天気や地理を教えてくれました。

他にも、五目並べや、カルタ、花札百人一首
いろんなゲームを教えてくれ、小学生に麻雀まで!
それはのちに私がボードゲームと暗記の教室をする土台になったのです。

いろんなお祭りや2年参りなどに連れて行ってくれたり
旅行にも行きいろんなことを教えてもらいました。

父は美味しいものが大好きで、
土曜日の夜にはケーキのお土産、
病気になればバナナやアイスクリーム、
日曜日の朝にはクリームパン、
特別な日には焼肉など、
たくさんの美味しいものを食べさせてくれ、
お魚は骨から身を綺麗にとってご飯の上に乗せてくれ、
いつも「お前は笑顔が良い」と褒めてくれました。


音楽の先生を経験した後、
自宅でピアノ教室を始めた母親は、
常に散らかしたり汚したりする私の世話を一生懸命して、
好き嫌いの多い私のために、
父親は馬刺しとお酒、母と兄はチキンの味噌ステーキ、
私には豚肉の薄切りといった感じに、
家族の好みに合わせて別々のメニューを作ってくれたり、
巨大なオムライスの美味しいお弁当を作ってくれました。

母のそばでかつお節を削るのを見たり、
ゴマをすり鉢ですることや
おはぎ作りを教わったりするのは興味深い時間でした。

料理の得意な母は、
私の誕生日になると「お前はいい季節に生まれたね。
たくさんフルーツが使えるよ。」と言ってフルーツポンチを作り、
当時珍しかったクレープやポタージュスープを作ってくれました。

父や兄がいない夜には、「二人で内緒のお茶会をしようね。」と、
タマゴサンドの作り方や紅茶の入れ方を教えてくれ、
ひな祭りにはちらし寿司、
七夕には手作りの蒸し饅頭、
クリスマスには童話に出てくるようなご馳走、
お正月には凝ったおせち料理と、
私にワクワクを育ててくれました。
イベントを作るのが好きなのはその影響だと思うのです。

多彩な母は日本画水墨画を描くのが好きで、
地元の美術会に出入りし、
まだ小・中学生だった私を美術会のイベントや、
東京の美術館にも連れて行ってくれました。
小さい頃に見たアングルやムリーリョ、
ルノアールの絵は、どれほど人生にトキメキを与えたか知れません。
そうした環境が美大を目指す一因になっていたのも確かです。

特にお得意の洋裁では、
その頃子ども服では売っていなかったような
素敵なドレスやスカートを作ってくれ、
ミシンを踏む母の横にいてあまり布で工作をする時間はとても幸せでした。

卵の殻の人形や、あやとり、ビーズに始まって、
刺繍に編み物、籐籠編み、リボンフラワー、
トウモロコシ人形、粘土の人形、茶道に華道。
多彩な母の趣味を一緒に経験したことは、
今の私の工作教室の仕事の土台になっています。

ピアノの先生だった母は、
歌も上手で童謡や昭和歌謡などをいつも歌っていました。
読書も好きで知識も豊富な表現力の豊かな人でした。
寝る前にはずっと読み聞かせをしてくれていて
それはかなり大きくなるまで続きました。
彼女が読む羅生門小僧の神様
むかしむかしやトルストイの子どものための本
スペインの昔話など
楽しくて仕方がありませんでした。

その頃に本の楽しさを教えてもらったおかげで、
ほとんどの偉人の伝記やオルコットなどの小説、
ルパンやシャーロックホームズなどの推理小説
オズの魔法使ライオンと魔女などのファンタジー
15少年漂流記などの冒険ものなど
全て自力で読めました。

人がたくさんいるクラスにいるのは
辛かった私が図書館にいて幸せだったのも、
放送委員会でアナウンスが得意だったのも、
母のおかげです。

その頃学校の校庭は冬になるとスケートリンクになり、
夜間滑りに行っていたのですが、
寒い日に帰ってくると熱い料理を準備してくれ、
冷え性の私のために、
毎朝手間のかかるオイル充填式のカイロを準備し
持たせてくれました。

母は作物を作るのも上手で、
よく一輪車を押して畑に行き
美味しい枝豆やトウモロコシを食べさせてくれたのです。
とにかく学ぶことがたくさんありました。

花を育てるのも得意で、
朝学校に行く時間になると庭に出て
花を切り新聞紙に包んで持たせてくれるのです。
髪をきっちり結ってくれるのも母でした。

こうやってやってもらったことを書き出していると
素晴らしいグッドプレゼントをたくさんもらっていたと
改めて思うのですが、
私の場合は個性が強すぎて素直な反応ができず、
癇癪持ちで何か言えばすぐに泣いて怒り、
両親は、さぞ戸惑ったことでしょう。

長くなりましたので、続きは次回にさせて頂きます。

最後までご覧頂きありがとうございました!

I appreciate !

小鳥遊樹でした。