夕食の後、五千歩足りないのに気がついて、
今夜は湖の反対側で行われる花火大会に向けて歩きだした。
自分がどんな時にイライラしたり、
悲しくなってくるのか、よく分かってきた。
それは何もお月様の影響だけではないようだ。
誰にも頼まれていないのに、
自分のエネルギーを超えて一生懸命動くと疲れる。
それでキャパオーバーになって感情がぐるぐるし始める。
誰にも頼まれていないというものの、
これは自分のやることだからとか、
何となく常識で決めている。
周りもそれは私がやるものと手を出さない。
家庭で奥さんやお母さんが旦那さんをぷりぷり怒ったり、
子どもをガミガミ怒るのは、これが原因なんだろう。
「私がこんなに一生懸命やっているのに分かってもらえない。周りは勝手なことばかりしている。」
職場で上司が部下を怒る構図も、
学校で先生が生徒を怒る構図もみんなそう。
周囲にいるものは、
自分の気持ちに合わない言動を繰り返す。
だから気に入らない。
気に入らないから声を荒げる。
言ってしまえば自分の都合だ。
感情的に怒る人は責任転嫁になっていることに気がつかない。
自分の思った通りでなければ嫌なのだ。
感情を荒げる人は、
どんなに頑張り屋さんでも、人徳が得られない。
家族の愛情も、生徒や弟子の尊敬も、
部下の信頼もどんどん離れていく。
頑張り屋さんは頼まれてもいないのに、
必要以上に人の気持ちを汲んでしまう。
自分が我慢すれば…
自分が頑張れば…
それで不機嫌になったり感情を爆発させるのでは意味がない。
人のために喜んで動くことは徳になるが、
人のためにと動いておきながら、悪口や愚痴を言ったり感情が振り回されるのでは、
自分に効く毒になる。
積み重なると身動きが取れなくなるくらい、よくまわる毒だ。
多くの場合は好意から始まるから、
いつのまにか自分でも区別がつかなくなるのだ。
これは自分が原因で起きていることか?
人が原因なのか?
人が原因だったとして、感情がブレるのは
自分軸がないだけということになる。
頑張り過ぎて疲れる。
夏休みで子ども達をずっとみる家も、
お盆でお客様を迎える家もどこもそうだろう。
体力がなければ、
ちょっと頑張ってもすぐに疲れる。
この解消にはトレーニングが必要だ。
睡眠時間が足りなければすぐに疲れる。
もう少し頑張れると思っても、
時間になったらやめて大人しく寝る。
この方が幸せへの近道だ。
いい人は我慢して人に美味しいものをあげてしまう。
自分が欲しいと思ったものは、ちゃんと自分も欲しいと言うことが大事。
我慢しない、
バランスの良い食事をすることが感情をブラさないために必要だ。
いい人は人をリラックスさせるために、自分の時間を使ってしまう。
それで自分がリラックスする時間をとれなかったら本末転倒。
いい人は人の世話ばかり焼くために、自分の手元が疎かになる。
結果、自分のものが管理できない。
人から受けた感情で頭がいっぱいになってしまうために、自分の行動ができなくなるのだ。
運動、食事、睡眠、リラックス、掃除と整理。
これを保てる人間関係を築かないと、
自分にとっても周囲の人にとっても不幸になる。
人には散々話している話だけど、
自分の身に立ち返るとやっぱり難しい。
まぁ難しさを攻略することが
生きるということだから、良いんだけどね。
太陽のように笑い、
鬼のように怒るのが持ち味だと思ってきたけど、
ネガティブな方への振れ幅は要らないものだと分かった。
いつでも穏やかにご機嫌に、
自分のやりたいことに挑戦し、失敗するを繰り返す。
これが生きるを昇華することに繋がる。
そこへ、感情が無ければ楽だいう言葉が降ってきた。
ん?そうか、イライラや悲しいの感情は要らないのか?じゃあ無くしちゃえ!と思った途端、
無くなったの。本当に(^^;)
みんなもそうなのかな?
悲しくて辛くて仕方がない時に試してみて。
あれ?どうしてこんなにイライラしてるの?
悲しいの?怒ってるの?要らないじゃんこれ。
この感情は無くなって良いものだから捨ててしまえ。
そう思ったら消えるのかな?
誰か試したら教えて。
湖に着いた!と、思ったら、また最後の演目だったらしい。みんなが帰り始める。
美しい月を眺めながら散歩。
家の近くまで戻ってきたら、
湖の反対側の花火大会が始まった。