自己紹介 (造形絵画教室25年間の経験を元に子育てメソッドが誕生するまで)4-5


アイ アプリシエイト!
お宝才能発掘アドバイザーの小鳥遊樹です。
自己紹介の続きを書かせて頂きます。
今日は4-5毒を撒き散らす社会人や親になってしまった私の続きです。
1.はじめに
2.自己紹介のダイジェスト
3.私の夢と目標
4.私の生い立ち
5.私がメソッド を誕生させるまで
6.いま私にできること

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【強い立場に立った時に私がとった行動】

中学の講師はやることが多くて無我夢中の日々でした。
まず生徒さんの名前を覚えることが難しい。
授業は楽しかったのですが成績をつけるということは
全く自分に合わない作業なのだと思いました。

多少の差はあっても
みんなが一生懸命に作品を作ることは変わりません。
ではどこで差をつけるかといえば
忘れ物をしてきたとか、提出物の期限が守れるかとか
授業中おしゃべりをしたとか態度が良いとかそういう観点になります。

ちょうど私が学校で講師をしている年が
小学校の時に埋めたタイムカプセルを
その当時の担任の先生と同じ年になったら掘り起こそうという
イベントの年に当たっていました。

5、6年を受け持ってくれたその先生の
体罰は本当に激しいもので、
自分が悪いことをしていなくても
班の子に落ち度があれば「前に出ろ」と言われて、
一列に並ばされ連帯責任でビンタをされました。

給食も好き嫌いや残すことは許されず
埃のたつ掃除中に食べさせられました。
私は呆れるくらいゆっくり咀嚼をする子だったので、
給食があるというだけで学校に行くのは恐怖でした。

今でも焦って飲み込むように食べるのは
その頃のトラウマです。
私は鬼のように気の強い小学生だったので、
「納得がいかないから家に呼んで。」と母親に頼み、
「先生の指導法は間違っている!」と抗議したことがあります。

そんなことをされていても、私もみんなもその先生が好きで、
家まで遊びに行ったり中学に進学してからも会いに行って
公園で一緒に遊んだりしました。

当時、体罰は特別なことではなく、
おそらく先生ご自身は、
もっと激しい体罰の時代を過ごしてきて、
傷が深かったのだろうと今では思えます。

タイムカプセルを掘り起こし
お寿司屋さんで二次会が始まると
その担任の先生は一人一人に謝って回ったのです。

その時に私は「え?どうして謝るの?」と思いました。
なぜかといえば私も講師をする中で
体罰をする教師になっていたからです。

もちろん誰にでもではなく
教師の目から見てよくないことをする子たち
例えば授業に遅れてくるとか
忘れ物をするとか授業中に出て行ってしまうとか
よそ見をしていて話を聞いていないとか。
私はその子たちに対して自分がされたのと同じ対応をしました。

流石にビンタこそしなかったのですが、
怒鳴っていましたし、出席簿で叩いていました。
忘れ物をする子は授業中に正座をさせて体罰をしていました。
それも全て小・中学生の頃に自分がされたことなので、
学校での教育は、それが当たり前だと思っていました。

決められたことに違反するものを罰する。
支配の側の正義に立つと、
こんなにも生徒達に対して暴力的になれるのか
ここはそういう場所だから当たり前だと、
その時には何の違和感も感じていなかったのですが、
自分に子どもが生まれて育てていると
どうしてあんなにひどいことができたのかと
罪悪感でいっぱいで当時の生徒さんに謝りたいと思っています。

一度、反抗ばかりして作品を提出をしない生徒を集めて放課後残し
制作のできていない部分をやらせたことがあるのですが、
「どうしてやらないのかねぇ…」と言った後で
「やりたくないものはやりたくないか…」と独り言を言った時だけ
その子たちが顔を上げて自分を見ていたのがとても印象的でした。

思い込みとは恐ろしいもので、
その時にも私自身は生徒を一生懸命指導している
子どもたちに優しい先生だと思っていました。
人は育てられたように育ち、次の世代を育てます。

でも負のサイクルを失くして
みんなが幸せになれる学校教育が提案できる今なので、
体罰を受けた幼少期の自分と
体罰をしてしまった大人になってからの自分の話をさせて頂きました。

またこんなこともありました。
業者さんへのクレームです。
結婚した時の嫁入り道具が期日に届かなかった時や
注文した商品が待っている時間に来なかったり
約束した時間に来なくて待たされた時、
工事の業者さんが思う通りの工事をしてくれなかった時など
責任者を呼び出したり電話をかけて延々と文句を言いました。

その時にはお金を払っているのはこちらなのだからと
強い立場だと思い込んでいたのですね。
それもやはり自分の心の傷なのだなぁと今では思えますが、
誰のせいというわけでもないのに、
不快な思いやご迷惑をおかけした方々、
皆さんに謝りたい気持ちでいっぱいです。

お恥ずかしい話なのですが文句をいうことでは、
園や学校にご迷惑なモンスターペアレントも経験しました。
自分の足らない部分や落ち度を責められたことのある私は、
先生方からの連絡が不十分だったり
意志の疎通が上手くいかないと怒って抗議をしました。

担任の先生に連絡帳で
娘のできていないことについて延々と箇条書きで書いたら
若い女の先生だったのですが、
あんなに頑張っているお子さんになんてことを言うんだと
怒られたことがありました。

ただただ自分が至らないと言うだけで
価値観も感じ方も人それぞれ違うし、
人同士が簡単に分かり合えるわけはないのに、
感謝の心もなく穏やかに自分の気持ちを伝える術も知らず
なんて勿体無い4半世紀を過ごしたのだろうと思います。

自分も社会人の時代を通して
文句を言われることや叱られること、
クレームに平謝りすることは度々あり、
子どもの頃の経験もあって
不満を感情で爆発させる癖がついていたのですね。

だからこそ今あちこちで問題になっている
自粛警察や誹謗中傷や差別など
何かあると人を攻撃する社会問題や事件を見ていると
あれはいつかの自分だと思うのです。

決して人ごとではない。
私の場合はたまたま愛によって救われただけの話で、
あのまま人の愛を知らずにいたら
今も同じように家族や社会に対して
毒を撒き散らし続けていたのだろうと思うとゾッとします。

次回はその毒を大切な娘に向けてしまった過去を書きたいと思います。

最後までご覧頂きありがとうございました!

I appreciate !

小鳥遊樹でした。