展覧会関係のご挨拶や配り物をするのに、
ばっちりメイクと洋服で、出かけた。
人って変わるものだ。
思いの外、
予定のタスクが早く終了し、
今週前半を頑張ったご褒美に、
会いたい人のお店にランチに出かけた。
店を訪れるのは半年ぶりなのに、
食べられないものを覚えていて、
一手間かけて抜いてくれる。
細やかな心配りに癒された。
素敵なスタッフさんにも会えて嬉しかった。
顔の周りに、ラベンダーピンク系の柔らかい光が灯るような、笑顔の愛らしい女性だった。
どんなに忙しくても穏やかに、
阿吽の呼吸で、テキパキとお客様をもてなす
お二人に、エネルギーをもらった。
マスターがスタッフさんに、
〇〇さんお願い。と、小さく声をかけて、
出来たものを運んでもらっているのも、
慣れないことには、大丈夫?とさりげなく声をかけているのも、
とても良いなと思って、気持ちが明るくなった。
この店のマスターは、
偉そうにするということがない。
仕事に対しても、人に対しても、
スタッフとかお客様とか業者さんの区別なく誠実だ。
世の中は、お金を払っている人が偉いという、
非常識な常識が一般的だ。
本当なら、お金を払えるような
仕事をさせてもらえること、
人生を生きていることに感謝して、
社員さんやスタッフさんを育て、
人に優しくするのが、
社会で上に立つものの役目だろう。
けれど、パワハラを行う多くの人は、
社会に出た時に同じようにされたから、
自分が上の立場に立ったら、
そうするものと思い込んでいる。
これは家庭教育でも同じことが言える。
愛された人は、子どもを愛して育てるし、
我慢強く接してもらえばそうできる。
口うるさく支配されり、強く叱られたり虐待を受けた人は、やはりそうしがちだ。
どこかで、そんなのおかしいよね、
ここで負のスパイラルを断ち切ろう!
と思うことは、とても難しい。
それが当たり前だから。
学校教育も然り。
大人数を怒って怒鳴って緊張状態の中で統率したら、言うことは聞くかも知れないけれど、
才能は育たないし、
ましてやミラクルな奇跡など起こしにくい。
でも、みんながそういうものだから仕方がないと思い込んでいる。
人は心が自由じゃないと、
資質として備わっている天才性が発揮できない。
神さまの心が宿るところは、
素晴らしいスタッフさんにも恵まれるし、
お客様も引きも切らない。
せっかく社会で生かして頂いているのなら、
そういう循環を作ってみたいと思う。
まだまだ収入になんてならないけれど、
やっと少しずつ、いろんな能力を持っている人に、適材適所で仕事を振るようになった。
そんな状態を作り始めたから、
初心を忘れずに謙虚に、
アルバイトや在宅ワークをしてくれる人達に接していきたいと思う。
直ぐに図に乗って、
威張る自分をよく知っているから、
稲穂であれを肝に銘じた、
良い時間でもありました。
マスターありがとう。
美味しいランチ、ごちそう様。
秋の夜空。